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<title>特集記事</title>
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<copyright>Copyright 2008 TASHIRO GROUP. All rights reserved.</copyright>
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<title>特集記事</title>
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<title>竹内 秀樹　Ｄｏｂｒｏ＠京橋</title>
<description><![CDATA[<p><strong>―まず、竹内シェフが料理の世界に入ったきっかけを教えて頂けますか？</strong></p>

<p>　僕は、小学校五年生の頃にはすでに、料理の世界に入りたいという夢を抱いていました。両親が共働きの家庭に育ちましたので、家庭で料理をする機会が多かったからかもしれません。普通の子供のように遊ぶことより、母親の傍らで料理の手伝いをするのが好きな子供でしたね。製菓専門学校に進学し、ケーキ屋ではなくレストランのデザートを作りたいという想いから、フレンチレストランに勤めました。そのパティシエ時代に、料理の方をやらないか？と誘われたことがきっかけです。 フレンチレストランでは７年修行を積みました。その後、イタリアンレストラン、カフェ、ハワイアンレストランなども経験し、自分の料理の幅を広げてきました。</p>

<p><strong>―ユニークなご経験ですね。クロアチア料理というジャンルに挑戦されるまでにはどのような経緯があったのでしょう？</strong></p>

<p>　実は、Ｄｏｂｒｏに来る前に、一度独立を経験しているんです。６年前に南青山に自分の店を持ちましたが、うまく行かず２年弱で閉店しました。店を閉めた後に、とある方の紹介で知り合ったＤｏｂｒｏのオーナーに、"やってみないか？"と誘われたのが、そもそものきっかけです。最初は、"クロアチア料理"に魅かれて転身したというより、まずはオーナーの人柄に魅かれたというのが正直なところです。信頼できない人のもとでは働けませんからね。そして、自分の力で対応できそうだという感覚。いかなるジャンルの料理であっても、焼いて煮て蒸して・・・という基本の工程は同じなんです。今までで培ってきた経験でできた基礎を応用させて、やってやれないことはないと思いました。新しいジャンルに取り組むことで、自分の仕事の対応力の幅を広げることができるとも考えました。</p>

<p><strong>―クロアチアはヨーロッパ有数のリゾート地として、今最も注目されている国の一つですが、クロアチア料理に関しては、日本人にとってまだ馴染みのない料理ですね。どのようなお料理なのですか？</strong></p>

<p>　ヨーロッパ各国の料理が融合された料理です。海側はアドリア海を挟んでイタリアがありますから、イタリアンの影響を受けて、パスタや魚介料理が多く食されています。山側は北に位置するハンガリーの影響を受け、肉料理や豆料理が中心。オーストリアやドイツの影響もありますね。ですから、料理の名前が違っても馴染みのある料理に近かったりするので、お召し上がり頂いたお客様には食べやすいと言って頂けることが多いです。</p>

<p><strong>―日本唯一のクロアチア料理レストランとして、今ＴＶや雑誌でも注目されていらっしゃいますが、世の中に認知されるまでのご苦労はありましたか？ </strong></p>

<p>　当然ありました。Ｄｏｂｒｏは、日韓Ｗ杯を機にオープンしましたが、Ｗ杯の日本×クロアチア戦によって、クロアチアという国が国民に認知されたような頃です。オープン当初にも多くの取材をして頂きましたが、その多くは料理の取材というよりもクロアチア戦にからめたものが多かったですね。それからスタッフ自身も、クロアチアの料理や国について知識不足でした。クロアチアに精通されたお客様もいらっしゃるわけですから、コミュニケーションも大変でしたね。今は、年に一度クロアチアに赴き、風土や料理、現地情報を勉強しているスタッフがサービスを行っていますので、クロアチア旅行帰りのお客様ともトークが弾み、喜んで頂いています。一組一組のお客様へのサービスや会話を大切にし、リピーターのお客様が次第に増え、そのお客様の口コミでまた来て頂いて、といった感じに地道に集客を伸ばしてきました。まだ認知度が高いと言える状態ではありませんが、最近はクロアチア観光人気との相乗効果もあって、お陰様で右肩上がりです。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol7_photo01.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol7_photo01.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><strong>―エグゼクティブシェフとして、お店づくりの為に意識されていることはありますか？ </strong></p>

<p>　まずは、お客様に「ＮＯ」と言わないことです。出来ないと言ったらプロではない。それは、昔からの自分の信条です。例えば「メニューにはないコースを食べたい、任せるよ」といったご要望であったり、「今日はフレンチ寄りの料理が食べたい気分だ」というご要望であっても、僕は絶対に「ＮＯ」とは言わず、お客様に満足して頂く為に自分が出来る限りのことを尽くします。自分の料理の幅に自信があるから応えられるし、その融通がお客様との信頼関係につながっている気がします。さすがに「和食が食べたい」と言われてしまったら、どのような提案をしようか考えますが(笑)。それから、僕は、お客様の満足度の６割は料理の味・質だと考えます。レストランとして営業している以上、そこは当たり前のことですよね。そして４割が、ワインであったり、店の雰囲気、スタッフの対応。その４割が満たされて１００％なんです。以前に自分の店をやっていた頃は、料理で１００％を満たせると思っていましたが、Ｄｏｂｒｏのオーナーと出会い、改めてそれは間違いであったと気付かされました。だから今は、お客様との会話の濃さをとても大切にしています。誕生日などの特別な日のサプライズ演出にも力を入れていますし、店にいる時間をいかに楽しんで頂くかということを常に考えています。そして、店のスタッフを大切にし、スタッフにとって不足しているものや必要なものについて気付かせてあげるのも仕事だと思っています。何かと気になってしまう自分の性分もあるのでしょうけど、一緒に働くスタッフに対しても、自分が何か与えられるものがあればと思っています。店を作るのは人ですから。</p>

<p><strong>―これから飲食業界を志している人へ、何かメッセージを頂けますか。</strong></p>

<p>　お客様、店のスタッフ、自分に対して「謙虚」であることです。経験を積めば積むほど、良くも悪くも慣れやプライドがでてきます。でもそこで胡坐をかいていれば、必ずお客様は離れていきます。そして一緒に働くスタッフを大切にすること。僕がフレンチの修行をしていた頃は、上に殴られ蹴られ・・・といった職人の世界でした。今、辛い思いをしながら修行を積んでいる方もいらっしゃるでしょう。でも、「自分はこうはしないだろう」と思う事を、いつか人の上に立つ時にも忘れないで欲しいと思います。家族より長い時間を共にするスタッフを大切にしてこそ、良い店の雰囲気づくりができるんです。自分の腕だけを過信するのも危険です。もし自分の店を持ちたいと思うのなら、維持の大変さを考えた上で目指して頂きたいと思います。資金調達ができれば誰でも店は持てますし、机上の計画はどうにでもできます。問題は維持に必要な経営の仕方。メニュー、誘導、サービス、一つ一つに戦略を持つことを、僕はＤｏｂｒｏで学びました。あとは、「覚悟」でしょうか。この仕事は労働時間も長いですし、責任のある立場になればなるほど、家に帰っても仕事から離れられないものです。それでもやるか？やらないか？という覚悟も必要だと思います。</p>

<p><big>【竹内シェフのこだわりのもの】</big></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol7_photo02.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol7_photo02.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>　竹内シェフの歴史を一番長く見ている包丁達。一番古いもので、写真手前のペティナイフは、今から２０年前、専門学校の頃にフランスで手に入れたとのこと。１８年、１５年と長く愛用されているものばかり。研ぎ方が変わると切り方も変わることから、必ず自分で研いで、大切にしてきたのだそうです。サーモン、チーズ、魚、肉など、切る食材によって包丁を使い分けるので、手に馴染みよく使うものだけでもこの本数になるのだと説明して頂きました。「何を選ぶにしても絶対に自分の手に取ったものでないと買わない」とこだわる竹内シェフが、一つ一つ買い揃えてきた包丁は、「スピードの求められる現場において、これがないと仕事ができない、自分の分身です」と愛しむように語っていました。</p>

<p><big>【インタビューを終えて】</big></p>

<p>　日本初にして日本唯一のクロアチア料理シェフは、世間にそう言われることに対して全く気負った様子のない、非常に謙虚な姿勢をお持ちの方でした。ゲストが店で過ごす時間のあらゆる場面において、楽しさ・心地よさを提供するか？ということに心を砕き、決して現状に満足せず、自身の料理やサービスの幅を広げてゆこうとする前向きさに、とても好感が持てました。今後さらにどう店のファンを作り、クロアチア料理のファンを広めてゆくのか、楽しみに見守りたいと思います。</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/interview/2008/post-22.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">飲食人散策</category>


<pubDate>Mon, 04 Aug 2008 10:18:33 +0900</pubDate>
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<title>内津 貴久　天てんぷら うち津＠広尾</title>
<description><![CDATA[<p><strong>―内津さんが料理の世界に入ろうと志したきっかけを教えて頂けますか？</strong></p>

<p>　大学の推薦入試に落ちてしまったからです。高校は大学付属校で、学内推薦で当然のように大学へ進学するものだと思っていました。ところが結果は不合格。さてこれからどうしようか？と考えた時に、他の大学を受験しようという選択肢はなかったんです。勉強するのが好きじゃなかったんですよね。合格発表で不合格の結果を見てすぐに、母親に電話しました。「調理師専門学校のパンフレット、取り寄せといて」って。大学入試に落ちるまで考えてもいなかったことなのに、不思議と他の選択肢は思いつかなかったですね。私は六つ年の離れた兄と二人兄弟なのですが、小さな頃からいつも自分が料理を作っていて、料理を作るのが好きだということが、漠然とわかっていたのかもしれません。それから、大阪の調理師専門学校に入学しました。大阪の学校を選んだのは、親元を離れてみたかったから。しかもその学校はリヨンに姉妹校があって、大阪に住んで、リヨンにも行ける！そんなことを考えていました。</p>

<p><strong>―リヨンですか。内津さんは天ぷらの道に入られる前は、ずっと日本料理の修行を積んでこられたそうですが、料理人を志した当初は洋食も考えていらしたのですか？ </strong></p>

<p>　実は、当初は洋食希望でした。理由は単純で、帽子が高くてかっこよかったから。（笑）日本料理に行ったのは成り行きだったんです。専門学校当時、親の仕送りを頼るのも申し訳ない気持ちがあって、校内に貼り出してあるバイトの求人を見ていたら、専門学校の先生に、当時名を馳せていた有名料亭のバイトを紹介されました。瓶詰の仕事でしたが始めてみたら面白かった。学校には殆ど行かなかったけれど、バイトは絶対に休まなかったですね。夏休みも冬休みも休まずに、です。学校の実習で包丁を持つことと、現場で包丁を持たせてもらうことの重みが違ったんですよね。現場の経験の方がずっと役に立つと思いました。お陰で学校は単位ギリギリでしたね。</p>

<p><strong>―そして、学生時代のアルバイトがきっかけで、日本料理の世界に入っていったのですね。</strong></p>

<p>　卒業後の就職先は、大阪でアルバイトをしていた料亭の東京店でした。しばらく働きましたが、大きな店だったので、自分の学歴では仕事の領域が限られてしまうことが見えてきたんです。そこで、学生時代からお世話になった料亭を飛び出し、ホテルプラザの和食レストランに転職します。そこでの、和食の料理長との出会いが、その後の自分を左右しましたね。その料理長が店を移る度、自分も一緒についていって、ホテルプラザの後もいくつかの店を経験しましたが、ずっとその料理長のもとで学ばせて頂きました。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol6_photo01.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol6_photo01.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><strong>―約６年、日本料理で修行を積まれた後、なぜ天ぷらの世界へ入ろうと思われたのですか？</strong></p>

<p>　横浜ロイヤルパークホテルに勤めていた時に出会った先輩に、日航東京の天ぷらカウンターをやってみないか？と誘われたのがきっかけです。そこで初めて、付き従ってきた料理長と離れて仕事をすることになりました。最初はカウンターに立つのが本当にこわかった。ホテルですから、今まで気にかけていなかった身だしなみや、ホスピタリティを求められる。対面でお客様とお話するのもこわい、お客様の反応がダイレクトにわかるのもこわい。最初は本当にそんな感じでした。お客様に手厳しいことを言われたこともありましたね。ただ、それに勝る喜びを、お客様に教えて頂いたんです。「おいしかったよ」という一言。それは、お客様の顔が見えない厨房で料理をしていても味わえない喜びだったんです。それから、火を通すことで食材の旨み・甘みを引き出すことのできる天ぷらにも魅了されていきました。</p>

<p><strong>―壁を越えたところに新境地が開けたのですね。これまで伺ったお話では、すべての転機にキーパーソンとなる人がいらっしゃいますね。</strong></p>

<p>　人とのつながり無くして、自分一人で出来ることなんて何もありませんよ。仕事においても、人生においても。常に人に助けられて自分がある。そう思うから、誰に対しても一人の人として接します。そこに、信頼関係が生まれるんです。</p>

<p><strong>―素敵なお話ですね。そしてそれから９年、ホテル日航東京天ぷら「吉野」で料理長を務められた経歴をお持ちですが、そのステイタスを捨てて独立をすることに迷いは無かったのですか？</strong></p>

<p>　そもそも、日航の料理長と言われることに特別な想いはありませんでした。そこに重きが無かったし、料理長となることが自分の終着点ではなかったんです。ホテルは下を育成していかなければならないので、上になるほど自分は現場から引いていかなければならない。会議も増えるし、サービスに回ることが多くなる。それはそれで大切な仕事なんです。でも自分は料理人として現役でいたかった。そんな状況もあったので、自分の店を持ちたいとずっと思っていましたね。温めてきた想いを形にしようと思い立ったきっかけは、ある独立開業支援の会社との出会いです。資金面などの出店条件において企業のサポートを受けながら出店できることで、独立への可能性が開けたのです。勿論、悩みはありましたよ。日航の料理長でいることで得られる安定感は、家族に安心感を与えることができた。家族のことを思えばこのままがいいのかとも考えました。そんなことを悩んでいた日、仕事が終わり、オートバイで帰途についたんですが、そこですごいことがあったんです。台場から自宅のある江戸川区まで、全ての信号が青で、ノンストップだったんですよ。そんなことは今までで一度もなかったですね。これは、行け！ってことなんだと思って吹っ切れました。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol6_photo02.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol6_photo02.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><strong>―何かに導かれているような、不思議なお話ですね。自分の店を持つことを考えた時に、個人経営という道もあったと思うのですが、企業の支援システムを利用するという働き方を選んだのはなぜですか？</strong></p>

<p>　個人経営はリスクがこわかったです。何千万もの借金を背負って、妻や子供に不安を与えることは絶対に出来ないと思っていました。この会社のシステムが無かったら、そのまま日航で料理長をやっていたと思いますし、自分の出来なかったことを助けてもらったと思っています。その分精一杯やりたいと思いますね。近い将来は、従業員を自分で雇用して、更に自営に近い契約を考えています。私が考える独立とは、自分で人を雇用する責任を担うことでもありますから。</p>

<p><strong>―間もなく、満を持したお店をオープンされるご予定ですが、独立を決意されてから今まで、ご苦労も多かったのではないですか？今の内津さんを支えているものは何ですか？</strong></p>

<p>　苦労と思うことは無かったです。ホテル勤めの頃と比べ、家族と持てる時間は少なくなりましたが、それは承知の上で決意したこと。女房ともよく相談して決めた道です。自分を支えているもの・・・それは何より、女房ですね。</p>

<p><strong>―内津さんにとって、経営者になる魅力とはどんなことだと思われますか？</strong></p>

<p>　雇われではないことですかね。自分が人を雇うということ。それはこわいところでもあると思いますけど、信じた仲間と共に、助け合いながらやっていくことに楽しさがあると思います。</p>

<p><strong>―最後に、これから独立を志す料理人の方にメッセージを頂けますか。</strong></p>

<p>　自分を信じること、<br />
　仲間を大事にし信頼すること、<br />
　信念を貫くこと。</p>

<p><br />
<big>【内津店主のこだわりのもの】</big></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol6_photo03.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol6_photo03.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>　天てんぷら　うち津OPEN準備に際して、運命的に出会った本漆塗りの粉鉢。ホテル時代は固く割れにくいことから粉鉢に用いられることが多い、有田焼のものを使用していたとのこと。当初は焼き物の粉鉢を探していたところ、とある方の伝手で漆器作家　川勝氏の作品と出会い、その美しい朱色に目を奪われたのだそうです。世界でただ一つの、特注の粉鉢が内津氏のこだわりのもの。<br />
　　大切な粉鉢を持たせて頂くと、大きさから意外なほどの軽さと、手になじむような持ちやすさに驚きます。また、本漆は耐熱性にも優れているのだそうです。味わいのある朱塗りの粉鉢は、内津氏の所作を更に美しく引き立てていました。</p>

<p><br />
<big>【インタビューを終えて】</big></p>

<p>　人との縁を大切にし、人からもたらされた縁に感謝し、目の前に開けた道を素直にまっすぐ進む。進んだ先にまた人との縁があり、新しい道が開ける。そうしたことを積み重ねて、独立をするという夢を果たした内津氏。決して飾らず人に対してオープン。そして礼儀正しく背筋の通った人、そんな印象の方でした。最も旬なものを、そのゲストの利用シーンに合わせて供する為に、おまかせコースのみに徹底しているのも、ゲストとの出会いや、ゲストと共有する時間を心から大切に想っているからこそのこだわりなのだろうと感じました。内津氏の油を感じさせないすっきりした天ぷらと、もてなしの心が、ゲストを魅了し世に広まってゆく日がくるのが楽しみです。</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/interview/2008/post-20.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">飲食人散策</category>


<pubDate>Tue, 15 Jul 2008 10:10:13 +0900</pubDate>
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<title>永福町大勝軒</title>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">行列マニア</category>


<pubDate>Sat, 28 Jun 2008 22:08:25 +0900</pubDate>
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<title>ＳＡＴＯＵ</title>
<description><![CDATA[<p>創業33年。メンチカツが名物の、有名な松阪牛専門店。<br />
いつも長い行列が出来ている。これを食べるために吉祥寺に来たという方もいるほどとか。食肉業界で一流の目利きと言われるオーナーが選んだ一流のお肉が自慢。<br />
メンチカツは1個160円。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/linemania/2008/post-23.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">行列マニア</category>


<pubDate>Sat, 28 Jun 2008 19:43:44 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>ひいらぎ</title>
<description><![CDATA[<p>6月の初旬というのに、たい焼き屋に人が並んでました。<br />
そのたい焼きは皮が薄くパリパリとしていて、尾っぽまでギッシリと詰まった餡子は<br />
小豆がホクホクとして甘すぎずに、上品な大人の味。一匹焼くのに30分掛けてます。<br />
土日には、50人近くの人が並ぶこともあるのだとか。<br />
店主は脱サラして、2000年に1号店「たい焼き本舗 遊示堂（ゆうじどう）」を、<br />
兵庫は姫路に開業、2003年には同じ姫路市内に2号店をオープンした。<br />
「有名なたい焼き店が多くある中で勝負したい」との思いから東京出店を決めたそうです。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/linemania/2008/post-21.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">行列マニア</category>


<pubDate>Wed, 11 Jun 2008 23:25:22 +0900</pubDate>
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<item>
<title>山岡 昌治　ＭｕｓｈＲｏｏｍ＠恵比寿</title>
<description><![CDATA[<p><strong>―山岡シェフは、もうこの世界に入られて長いと思いますが、この世界に入られたきっかけをお伺いして宜しいでしょうか？</strong></p>

<p>　実家が松山で、八百屋を営んでいましたから、幼少の頃から他の人に比べれば、食べ物に縁のある環境でしたね。学生時代は男子校の進学校で、いい大学を出ていい就職をするのが当たり前の時代で、高校時代に東京に引っ越すことになりましたが、勉強に身が入らなくなった。学生時代、その後デザイン関連の学校にも通いましたが、アルバイトをしていて、勉強より仕事をすることの方が楽しくて一生懸命でしたね。22歳の時、バイクで事故に遭い、自分の今後のライフワークをどうするべきか真剣に考え始めました。長く続けられて、本当に自分がやっていけるもの、それには手に職をつけること、だと思いました。その頃、世間ではフレンチ料理がもてはやされ、フレンチシェフが非常に脚光を浴びていました。小さい頃から漠然と外国で仕事がしたいと思っていましたし、フレンチシェフだったら、成功したら道が開けるかもしれない、今後の仕事としてもやっていけるのでは、と直感しました。</p>

<p><strong>―確かに、その頃のフレンチ料理のイメージは、料理ジャンルの中でも高級で一般的ではないジャンルですよね。日本人のフレンチシェフ自体が珍しい時代なのでしょうか？</strong></p>

<p>　確かに注目され始めた頃で、フランスへ行って修行して戻ってこようと思いました。まずは調理師学校へ通い、その後新橋で、元丸の内ホテル総料理長の元で、３年近く働き、ヌーヴェルフレンチ料理のブームが始まりました。</p>

<p><strong>―フレンチは確かにブームになった時期がありましたね。それからはどのように？</strong></p>

<p>　元々、フランスへ行く事を目的としていましたから、お金を貯めて27歳でフランスに行きました。フランス語も独学で勉強しつつ、最初の働き先は研修紹介会社に頼みました。とにかく１からのスタートのつもりで行きました。４年半、フランスで料理店で働きながら勉強しました。もっと居たいと思いましたが、将来的には自分のお店を持ちたいという夢がありますから、30代に入りこれから日本に戻り、帰って何が出来るかの保証も無い訳ですから、条件も厳しいと感じました。フランスで一緒に働いていた日本人の友人が僕が帰る1年前位に日本に帰って店をオープンし、手伝ってほしいということで日本に帰りました。それからその店を手伝い、また知り合いの紹介で南麻布の店でシェフとして任され、銀座や自由が丘のフレンチの店でも働きました。それから自分の店の準備を始めるわけです。</p>

<p><strong>―今から15年前の飲食店の出店となると、現在と条件など相当違うと思うのですが？</strong></p>

<p>　僕がフランスにいた頃は、日本はバブル全盛で、山の手線内で店を出そうと思ったら1億円（笑）と言われ、かと言って田舎の松山じゃフランス料理店は出せないと思っていました。僕が日本に帰った頃は、バブルが崩壊し始め、今なら出せるチャンスだと思ったんです。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol5_photo01.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol5_photo01.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><strong>―物件探しは、恵比寿と決めていらっしゃったのでしょうか？その頃の恵比寿はどんな状況だったのでしょうか？</strong></p>

<p>　その頃の恵比寿は商店街のイメージで、八百屋、魚屋、肉屋など庶民的な街の印象でしたよね（笑）、あとは恵比寿と言ったらラーメンを食べに行く街とか（笑）。有名な店としては、キッチン・ボンさんとかでしたね。既に固定客がしっかりついている安定したお店ですよね。他はガーデンプレイスもまだないし、街自体が庶民的でしたよね。<br />
恵比寿にした理由は、もともと自由が丘の店で働いていたり、目黒の料理教室の講師で通っていたので、目黒周辺地域の商圏として恵比寿、広尾、中目黒などで探していました。</p>

<p><strong>―物件は個人で探されたのでしょうか？</strong></p>

<p>　基本的に個人です。ただ色々な方からの紹介はありました。最初に紹介してもらった恵比寿の物件は今より少し狭い物件でしたが条件が良かったので進めるつもりでしたが、工事初日に区役所の方が来て、工事中止の命令が出ました。駐車場利用しか出来ない物件だったようです。結局スムーズに行きませんでした。その時既に今のこの物件も気になっていた物件ではあったんですが、賃貸で家賃は高かったし、１階で探していたので、ここは表示は１階ですけど、どうみても２階だから（笑）とか全部が条件は希望通りとはいきませんでした。でも、進めようと思っていた物件がボツになったし、器材も既に用意していたし、スタッフも２名抱えていましたから、条件面は気になる部分もありましたが、ダメもとでオーナーに電話したんです。</p>

<p><strong>―気になりますね（笑）物件は居抜きだったのでしょうか？</strong></p>

<p>スケルトンでした。前は物販でしたが、その前に飲食関係だったようで、ダクトがついていたので、これがあるだけでも十分コストが抑えられる条件でしたよね。オーナーさんに電話した時、「フランス料理ですか？それなら相談にのります」って言われて、ビルのイメージアップになるならフランス料理であれば、、と条件も安くしてくれたので、結果ラッキーでしたね。</p>

<p><strong>―そうですね！スタッフも２名既にいらっしゃるということで、あとは着々とオープンに向けて・・・</strong></p>

<p>当時のスタッフは、僕以外２名も料理人で、サービスがいなかった。だから自分が表へ出てサービスしました。だから大変でしたね（笑）接客サービス以外の掃除なども全て自分でやりました。厨房は予め出来るソースの仕込みや、デザートの仕込みなどもしていましたが、手の込んだ料理がほとんど出来ませんでした。当時は5000円のコース料理も用意していましたが、アラカルト主流のビストロのようなお店でしたね。店内もそんな感じでしたね。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol5_photo02.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol5_photo02.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><strong>―ビストロというイメージが今のお店からは想像がつきませんね（笑）<br />
ところでマッシュルームという店名は、オープン時から決めていらっしゃったのでしょうか？<br />
</strong></p>

<p>最初はマッシュルームにするつもりはなかったんですよ（笑）もっとフレンチっぽい横文字表記のかっこいい名前にしようと思っていましたが、なかなかピンとくるものがなかった。でも覚えやすいし、フランスできのこに興味を持ってコンセプトは決まっていたので、マッシュルームにしました。でも最初は、フレンチのガイドブックに掲載しても、店名の説明で3行位とられたり、お客様からも何料理の店かとの問合せも多く、店にいきなり入ってきて「ホット２つ」と喫茶店に間違えられたり（笑）</p>

<p><strong>―色々なご苦労があったんですね。山岡シェフがきのこに興味を持ったきっかけ、お店に活かしたいと思った理由をお伺いしたいです。</strong></p>

<p>フランス人がキノコ好きで、フランスで未知のきのこを多く知り、興味を持ちました。そして日本に帰ってからも自分できのこを取りに行くようになりました。自分の店を出す時は、キノコは美味しいし、体にもいいけど、ほとんど利用しているお店が少ないし、料理人同士でもきのこの話を出来る人がいない、知識を持っている人もあまりいない、自分は興味があるから図鑑を読み、勉強しました。日本では圧倒的に、秋の素材の一部という扱いだったので、1年を通して、多くの種類、キノコの魅力を紹介したいと思いました。</p>

<p><strong>―なるほど。。それがマッシュルームという店名に繋がったのですね！<br />
さて、オープンして15年という長い時間で、お店としても色々な変化を経てきたと思いますが、記憶に強く残っている出来事などあれば教えて頂けますか？<br />
</strong></p>

<p>最初の５，６年は私がホールもやり、厨房とホールと両方兼任でしたから大変でしたね。7年目の時、今ホールを任せている女性が入ってきてくれたことで、僕は厨房に専念出来るようになりました。それまでは厨房に入りたくても入れない、自分の提供したいものが提供出来ない、売上が上がっても全然満足出来ない訳です。でも6年間ホールをやってみて、すごく勉強になったのは、クレームなどの反応がダイレクトに自分に入る―、誰も僕をシェフとは思ってないわけですから（笑）。この経験を生かして厨房に入り、良い素材で自分が満足出来るものを使い、2000年には店を全面改装し、ワインセラーも作り、厨房、ホールの作業工程も効率良くしました。料理の種類も増やし、グレードも上がって、ワインとチーズの注文の数が変わりました。やはり売れる人がホールに出ると売れる。そして顧客の満足度も変わりました。一見さんが減って、紹介、クチコミ、リピート客が増えました。<br />
おかげで、ここ数年売上はずっと右肩上がりです。お客様が安定してきましたからね。お客様の信用は一度無くすると取り戻すのにとても時間がかかるのを知っていますから、今は、色々な経験、時間を経て、お店としてとても良い状態ですね。</p>

<p><strong>―15年という時間で培ってきた、現在のお店のスタイルが確立したお話は、実際にやられてきたことだからこそ、リアルな言葉の重みを感じます。<br />
最後に、山岡シェフから、今後飲食店で独立を考えている方に、アドバイスがあればぜひお伺いしたいです。<br />
</strong></p>

<p>「店を営業する」ということは、どういうことか。広い目で全体を見れるようになりなさい。と私は言います。いくら料理が良くても、他が０（ゼロ）だったら、店はすぐ潰れます。万が一、スタッフがいなくなれば、自分で接客もしなければならない、ワインの知識もなければ売ることも出来ない。これらを踏まえ、自分の人生だから手助けをしてくれる人がいるかもしれないけれど、全部自分で責任を持ってやることを自覚すること、途中で投げ出さない、誰かが助けてくれると思わない、誰もやらなくても俺がやる、自分がやるという覚悟が大切です。<br />
また飲食店としての魅力は、軸がぶれないことが大事です。自分の店の個性、ポリシー、何が売りなのかを、お客様に自信を持って、妥協せず、提供出来ること。そして商売という気持ちだけではなく、好きでないと出来ません。これは息の長いお店として継続できる、一番のポイントですね。</p>

<p><big>【山岡オーナーシェフのお店のこだわりのもの】</big></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol5_photo03.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol5_photo03.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>　やはりキノコの存在なくして、このお店は語れません。「今日のキノコを盛り合わせましょうか？」とさりげなく用意して頂いたのですが、その見たことのない種類に圧倒されました！日本で見慣れたもの以外に、ヨーロッパ各地、南アフリカのものなど、旬のキノコの仕入れに驚きです。アミガサタケ、タマシロノタケ、エノキタケ、ハナビラタケ、トキイロヒラタケ、モンゴルシメジ、ジャンボマッシュルーム。。。。聞いたことのない種類にカメラマン共々目が点でした（笑）また、キノコってキレイだな、と感じたのも新しい発見です。</p>

<p><big>【インタビューを終えて】</big></p>

<p>　とても気さくに、たくさん色々なお話をして頂いた山岡オーナーシェフ。１つ１つの言葉には、長きに渡り飲食店を経営されてきたご経験からの、飲食店経営のノウハウのエッセンスのキーワードが溢れていました。フランスに渡り、キノコに出会い、キノコの魅力を日本で伝えるべく、試行錯誤しながら経営されてきたお店は、今はわざわざ遠方からも足を運ぶお客様が増えているそうです。先日行われた15周年パーティはたくさんの常連さんが溢れ、お店に入りきらず廊下も開放したとのこと！円熟味のあるマッシュルームというお店は、今後も安定した経営をされていくことでしょう。今後は、条件が揃えば、出身地やリゾート地などでの出店も考えたいと最後に仰った山岡オーナーシェフの自信に満ち溢れた素敵な笑顔が印象的でした。</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/interview/2008/post-14.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">飲食人散策</category>


<pubDate>Mon, 02 Jun 2008 14:11:13 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>ル ブーランジェ ドミニク・サブロン</title>
<description><![CDATA[<p>2008年3月20日にオープンした赤坂サカスのエリア内にあるパン屋。<br />
パリで最も注目されているブーランジェの一人である、<br />
ドミニク・サブロンの日本第一号店。<br />
厳選された素材を使用して、長時間発酵で焼き上げたパンは、<br />
三ツ星レストランにも使用されている。<br />
さわやかな酸味のあるブール・ビオ・オ・ルヴァンは人気。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/linemania/2008/post-19.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">行列マニア</category>


<pubDate>Tue, 06 May 2008 15:03:55 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>京粕漬　魚久</title>
<description><![CDATA[<p>日本橋人形町に80年の歴史を持つ京粕漬けの老舗。<br />
全国の数ある酒蔵から味にこだわり選びに選び抜いた上質の一番粕を使い、独自の製法で熟成された京粕漬は、魚の風味をより一層際立たせ、好きな人にはたまらないとか。<br />
勿論、デパートなどで買い求めることは出来ますが、少し値段が高い。<br />
だけど渋谷店では、その切り落とし（形などが商品とはならない物）が5～6切れほど入った袋詰めが、500円と格安価格で売られており、それがこの行列の目当てだったんです。<br />
1人2袋まで、朝の9時40分に整理券が配布され、開店の10時とほぼ同時に<br />
売り切れてしまう。<br />
10袋に1袋の割合で、イカげそがおまけで入っているらしいです。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/linemania/2008/post-18.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">行列マニア</category>


<pubDate>Mon, 05 May 2008 08:58:45 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>モンシュシュ</title>
<description><![CDATA[<p>改札を出て、三越地下入口から入り、エスカレーターへ向うと、かなりの行列を発見。<br />
行列の先頭を探すと、堂島ロールで有名なモンシュシュのショップでした。<br />
本店は、大阪北区の四ツ橋筋、堂島川渡辺橋のふもとにある路面店だそうです。<br />
迫力の生クリームの断面は、見るからに美味しそうです。<br />
当日は最長時で１時間２０分待ち！<br />
『お父さん並んでて、私たちはそこら辺を見てくるから』なんて光景も...　<br />
それにしてもすごい人気ですね。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/linemania/2008/post-17.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">行列マニア</category>


<pubDate>Sat, 03 May 2008 09:27:51 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>井上 勇　ＩＬ ＬＵＰＯＮＥ＠中目黒</title>
<description><![CDATA[<p><strong>―今でこそ、イタリアの窯で焼くピッツァがだいぶ認知されていますが、井上さんがピッツァに出会ったきっかけから教えてもらってよろしいでしょうか？</strong></p>

<p>　きっかけは偶然でしたね（笑）　学校を卒業して病気して、考えていた進路が出来なくなった。病気が治りましたが、仕事がない！それで、父の知り合いの紹介で中目黒のサルヴァトーレのオープニングスタッフで仕事をすることになりました。特に飲食が良いとかイタリアンが好きとかそんなことも全く考えていない状況で･･･（笑）</p>

<p><strong>―今から13～4年前の話になるかと思いますが、その頃は「ピッツァ」ではなく、「ピザ」というイメージですよね？</strong></p>

<p>　そうですね。自分もそのイメージでした。だから初めて食べた「ピッツァ」は衝撃的でしたね。『　本場のピザはこうなのか！？』って驚きました。</p>

<p><strong>―早くに、その衝撃的な「ピッツァ」に出会えて羨ましいですね。<br />
そこから、ピッツァイオーロ（イタリアでピッツァ職人の意味）への道のりはどのようにスタートしましたか？</strong></p>

<p>　店に入って3ヵ月位経ったある時、サルヴァトーレ氏に、「お前もやってみるか？」と声をかけてもらいました。驚きましたし、嬉しかったですね。すぐに「ハイ！」と答えました。そこからはひたすらピッツァ作りの修行です。全ての工程を教えてもらいながら、少しずつ覚えていきますが、お客様に出せるようになる迄に、１年位はかかりましたね。</p>

<p><strong>―やはり技術を身につけるのは、簡単ではないですよね。しかもその頃日本人でピッツァ職人になろうという人も珍しいのではないでしょうか？</strong></p>

<p>　そうですね。ピッツァを学べるのは楽しかったです。ただそれからある程度時間を経て、自分も従業員を見る立場になって来た時、色々と自分の中でうまく事が運ばなくなることが多くなりました。もっとピッツァを勉強したいという気持ちも高まり、それで考えて、その時は一度退職することに決めました。それでナポリに行くことにしたのです。</p>

<p><strong>―ナポリですか？！　ナポリは前から行こうと思っていたのですか？</strong></p>

<p>　ピッツァの本場はナポリですから、行きたいと思っていました。それでサルヴァトーレさんに紹介してもらったお店で働くことになりました。3ヶ月間でしたが、やっぱり現地での経験は本当に色んなことがありましたね（笑）</p>

<p><strong>―興味深いですね。何が一番印象に残りましたか？</strong></p>

<p>　ナポリの人は、人懐っこくて、面倒見がいいですね。でも感情の起伏も激しいから、時々大変なことも（笑）。食材の管理の仕方や厨房の使い方も、日本の感覚とは全然違うので、一見雑多に見えるかもしれないけど、それがナポリの一番ベストな方法で伝統なんですよね。最初はびっくりすることも多かったのですが（笑）。ナポリには、若い10代の職人達がたくさんいて、皆プロとしてプライドを持ってやっているので、技術は本当に勉強になりました。ピッツァ職人は、日本で言う鮨職人のような国民食で伝統的な料理の職人として広く認知された職業ですからね。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol4_photo01.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol4_photo01.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><strong>―ナポリでの貴重な経験を経て、日本に帰って来られてからはすぐオープンの準備に入られたのでしょうか？</strong></p>

<p>　帰国して、少し知り合いのイタリアンのお店で働きました。ただ、もう自分の中で店をやることを決めていましたので、準備は始めようと思っていて、まずは物件探しからスタートしました。</p>

<p><strong>――物件探しは、どのように始めましたか？また場所は中目黒と決めていたのでしょうか？</strong></p>

<p>　場所は、中目黒が良いと思って探しました。ただ個人で不動産屋を回り、目黒川通り沿いなどを自分で歩きながら、空き物件を見つけると、そこの連絡先に連絡したり。でもそう簡単には見つからないですよね。元々人気エリアですからね。でも、ある時、今のこの物件が売られているのを知り、すぐ連絡とりました。条件としては、僕がまさに探している物件でしたから。。条件を聞いて、ここに決めようと思いました。でも、家族や友人などからは結構反対もされましたけどね。</p>

<p><strong>―どんな反対ですか？</strong></p>

<p>　駅から離れているとか、分かりにくいとか、色々です（笑）でも、僕はどうしてもこの場所がピンと来て、ここに決めたかったので、ここにしました。</p>

<p><strong>―そういう直感ってありますし、大事ですよね。ところで開業資金はどのように準備されましたか？</strong></p>

<p>　自己資金だけでは厳しいので、父親に相談し、銀行から借りました。</p>

<p><strong>―物件も決まり、資金調達も確保し、内装工事の手配なども個人でやられる場合は、大変かと思いますが、どのようにされましたか？</strong></p>

<p>　内装工事は、以前働いていたお店の人から、業者を紹介してもらいました。スケルトン物件だったので、１からでしたね。あとは、ピッツァを焼く窯が一番時間かかりました（笑）<br />
この窯は、イタリアへオーダーしたので、それが到着する迄に３ヶ月かかりました。だから、内装がほぼ出来上がりましたが、肝心の窯がまだ届かず、到着待ち状態だったんですよ（笑）</p>

<p><strong>―確かにこの窯は、時間がかかりそうですね（笑）でも、井上さんにとっては、お店の命ですよね？出来上がってきた時には、嬉しかったのではないでしょうか？</strong></p>

<p>　そうですね。この窯の模様になっているタイルは自分達で買いに行って、皆で貼りました。お店の名前のアルファベットのタイルも、実は１つ逆のものがあります、慌てぶりがわかりますね（笑）</p>

<p><strong>―スタッフ手作り感が伝わりますね。オーナーと皆さんの熱い思いが込められているわけですね！オープン時のスタッフはどのような方々とでしたか？</strong></p>

<p>　以前の職場で一緒だった仲間3人でした。しばらくは、その仲間でやり、その後は求人広告などでの募集も行いました。今は長く続けて働いている人もいて、スタッフは本当に大事だと最近つくづく思います。</p>

<p><strong>―オープンにあたり、何か販売促進のようなことは行いましたか？</strong></p>

<p>　ほとんど何もやりませんでしたね（笑）。ショップカードを作った位でしょうか。ホームページを作ったのもオープンしてしばらくしてから、兄がデザインの仕事をしていて、「店のホームページを作った方がいい」と薦められて「それなら」って感じでした（笑）。まずは日々の営業をしっかりやることに専念していたという状況でしたね。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol4_photo02.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol4_photo02.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><strong>―オープン時はやはり現場の営業に集中してしまいますよね。<br />
ところで話は変わりますが、たまにピッツァのお店で見かける「ＶＥＲＡ　ＰＩＺＺＡ」の看板、こちらのお店にもありますが、どんな意味があるのでしょうか？</strong></p>

<p>　これはナポリ発祥の真のナポリピッツァであると認定されたものに与えられる、ナポリ公式の「真のナポリピッツァ協会」認定の証です。協会が定める規約の遵守、事前審査を受けて合格すると認定される、現在はイタリア政府公認の認定証となります。</p>

<p><strong>―そのような意味だったのですね！この認定を受けているお店は日本にどの位あるのでしょうか？</strong></p>

<p>僕の知っている範囲で20数店舗じゃないでしょうか？（2008年3月現在：全国28店舗）</p>

<p><strong>―たくさんのピッツァのお店がありますが、まだそれだけですか？すごいですね！</strong></p>

<p>公的に認められるということは店側もお客様側も安心感がありますよね。もちろんその看板を維持し続ける緊張感も常にあるわけですから。</p>

<p><strong>―ピッツァ職人として、一番のポイントは何でしょうか？</strong></p>

<p>ピッツァ職人の技量は、全て「焼き」なんです。生地や食材云々の前に、「焼き」が基本で技ですから。今でも常に完璧な「焼き」を追及し続けていますから。求めた結果が出た時は、今でも毎回、実はこっそり喜んでいます。（笑）</p>

<p><strong>―ところで、井上オーナーが今後やってみたい事はありますか？</strong></p>

<p>ナポリにピッツァフェスタというお祭りがあるのですが、これの日本版を近い内にやりたいと考えています。ピッツァを愛する仲間達と大きな会場を借りて、きちんとしたイベントとして、たくさんの人達に真のピッツァの魅力を伝えることが出来ればいいですよね。</p>

<p><strong>―それ、ぜひ実現させて下さい！ナポリピッツァを広めるべく啓蒙活動は今後が楽しみですね。</strong></p>

<p>そうですね。。僕自身が一番楽しみにしているんですよ（笑）</p>

<p><strong>―３年経って、今ではお店の営業も軌道にのっているようですが、ここに至るまでに経験した中で、これから飲食店開業を考えている人にアドバイスしたいことはありますか？</strong></p>

<p>そうですね。僕はオープンする時に、オープン後3年間という期限を自分の中で決めていました。3年の内に絶対賑わう店を作る、と。３年で出来なければやめるという覚悟で。目標を決めることは重要です。あとは、やはりここまでこれたのは、周りの人達の協力があったからこそだと最近つくづく思います。僕は現場が好きで、これからも現場中心でやっていきたいと思っています。その中で周りのスタッフ達に支えられたことで、すごく人が大事だとわかりました。自分から相手に好かれるように努力することも大事だし、皆とコミュニケーションをとることが大切だと思います。楽しそうにしている人のそばには自然と人も集まりますし、人にも紹介したくなりますからね。お客様は人につくものだと思っていますから･･･</p>

<p><br />
<big>【井上オーナーのお店のこだわりのもの】</big></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol4_photo03.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol4_photo03.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>　インタビュー中にも紹介のあった、やはりこのイタリアに特注でオーダーしたこの窯。窯は発注して3ヵ月待ち、到着後、タイルを買いに行き自分達で貼り付けたという窯は、お店の中でも一番の存在感です。この窯と職人の技で出来るピッツァを求めてやってくる人が絶えない理由は、この店のシンボルであるこの窯無しでは語れません。</p>

<p><big>【インタビューを終えて】</big></p>

<p>　とても穏やかで優しい語り口の井上オーナーですが、ピッツァに対する情熱は計り知れない未知数で、今後、日本における更なるピッツァ普及の若きパイオニアになるのではと感じさせるオーラがありました。ピッツァイオーロ(ピッツァ職人)が新たな男性の人気職として確立する日も近いのかもしれません。ラッキーチャンスを最大限に活かし、自分で着実に掴んできた井上オーナーの快進撃はじわじわとこれからに期待大です。まずは、ピッツァフェスタジャパン開催の日を楽しみにしています！</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/interview/2008/post-13.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">飲食人散策</category>


<pubDate>Fri, 02 May 2008 10:52:40 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>マネケン</title>
<description><![CDATA[<p>日本で始めてベルギーワッフルを紹介し、広めたのはマネケンだそうです。<br />
今でこそ、定番のスイ－ツとなったベルギーワッフル。<br />
日本での歴史は20年ほど、シンプルでどこか懐かしい。<br />
独特な食感が特徴的なベルギーの国民的おやつ。<br />
本場ベルギー仕込の美味しさを、日本の街角で味わうことが出来る。<br />
そんなマネケンの情熱は本場ベルギーにも伝わり、98年にはベルギー王国より勲章が授与されたそうです。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/linemania/2008/post-16.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">行列マニア</category>


<pubDate>Sat, 26 Apr 2008 11:28:21 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>ラーメン二郎</title>
<description><![CDATA[<p>東京や神奈川を中心に、およそ20店舗ほどの支店がある、言わずと知れたラーメン店。<br />
名前こそ名乗ってはいないが、その特徴や味を引き継いでいる店や、影響を受けた店は多い。その中でも、神田神保町店は連日の行列で評判な支店の一つ。<br />
古本屋が多いことで有名な神保町。昼はオフィースワーカーを中心に人通りも多いが、<br />
夜になると辺りに人影は少ない。<br />
大通りから、何気ない路地を入ると、いきなり行列は現れる。<br />
おそらく最後尾からは、1時間近くは掛かるのではないだろうか。<br />
そこまでしても食べたくなるラーメン二郎の魅力とは一体何なのだろうか？<br />
ちまたでは『ジロリアン』と呼ばれる熱狂的なファンもいるらしい。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/linemania/2008/post-15.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">行列マニア</category>


<pubDate>Thu, 24 Apr 2008 10:38:34 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>高野 将人　魚Ｂａｒ 一歩＠恵比寿</title>
<description><![CDATA[<p><strong>―証券会社のアナリストから、飲食店開業という異業種への転身へのきっかけをまずお聞きしたいです。</strong></p>

<p>　自分の中で、30歳で貯蓄1千万、独立するというのは決めていました。独立ありきだったので、飲食での独立とは決めてはいませんでしたね、実は。アナリストだった頃、自分が担当していたセクターは、小売サービス業で、当時サザビーや良品計画といった新しいライフスタイルを提案していく企業として、世間の人気も高く、マーケットとして面白くて、よく勉強していましたね。雑貨、カフェ、セレクトショップなど、世の中の人を幸せにする新興企業は非常に魅力的でしたね。自分も独立するなら、幸せや豊かさを感じさせる業態だと思いましたので、その中から、飲食を選んだきっかけは、まず飲み食いが好きだったからですね（笑）</p>

<p><strong>―好きって事は大事ですよね。 基本ですね、それは。</strong></p>

<p>　会社員だった頃、新人の時は、安いチェーンの居酒屋から始まり、財布に余裕が出てくると、いい店にも行けるようになって、いろんな飲食店に行きましたね。その経験の中で、たくさんの影響を受けてきて、飲み食いすることが好きな自分がいて、せっかくなら、上等な酒と旨い肴で、気の合う仲間と充実した会話の出来る空間と時間を提供出来る店を作りたいと思ったのが、今の店に繋がっていますよね。</p>

<p><strong>―自分でこんな店があったらいいなと思って進めるのは、明確でいいですよね。<br />
さて、飲食店をやろうと決めて、まず物件探しはどのようにされましたか？</strong></p>

<p>　恵比寿にはこだわっていなかったですね。条件は1千万円の無借金で借りられる物件でしたから、地域としては、北は王子、南は池上、東は浜松町、西は吉祥寺まで、物件の場所も、ターミナル駅周辺から住宅地迄、幅広く探しました。ある時、恵比寿の駅から5分、居抜き物件で、家賃も安め、という物件の情報が入りましたが、半年間空いているということで、確認すると造作譲渡の金額が高く、なるほどと思いました。それから少しして、譲渡額が、だいぶ下がったという情報を聞き、すぐ不動産屋に申込みをしたら、1番でしたね。それが今の店です。</p>

<p><strong>―その頃既に、恵比寿は人気エリアですよね？とても運が強いですね（笑）</strong></p>

<p>　2004年秋にオープンし、約3年経ちますが、その頃の今のエリアの飲食店の数は、今の半分位でしたね。それが今では倍に増え、色々な飲食店が出来ました。僕としては、物件の条件がたまたま恵比寿だった。結果として、ラッキーでしたね（笑）</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol3_photo01.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol3_photo01.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><strong>―開業準備にあたり、従業員はどのように考えていましたか？</strong></p>

<p>　最初は大学時代の同級生と2人でやろうと思っていました。店の内装工事などが始まり、進んでいく中で、相手が悩んでいるのがわかりました。家族から反対されていたようでしたね。確かに先がわからない飲食店の開業は、誰でも不安になりますよね。悩んでいる人に無理にとは言えませんでした。ただこの広さでやる以上、１人では無理なので、心当たりの2～3人に声をかけました。新しく従業員を雇って営業するつもりはなかったので。<br />
結果、アメリカに居た弟が来てくれることになりました。弟にその話をしたのはオープンの1ヶ月前（笑）、でも来てくれましたね。</p>

<p><strong>―現在もご一緒に営業されている弟さんの存在は大きいですね。<br />
ところで、この場所でオープンするにあたり、オープン前の広告宣伝は何か準備されたのでしょうか？</strong></p>

<p>　広告は、インターネットでの飲食情報サイトに掲載する位でした。<br />
業態的に、特に費用をかけて宣伝を行うことは考えていませんでしたね。口コミでお客さんがじわじわと来てくれる業態と予測していましたので･･･。お陰様で３年経ちましたが、前年比も毎年超えて、きれいに右肩上がりになっていますので、間違っていなかったと思いますよ。（笑）</p>

<p><strong>―３年経って、恵比寿での飲食店営業の特徴もお判りかと思いますが、今後の目標や考えていることがあれば、教えて頂けますか？</strong></p>

<p>　今は、とにかくこの店を頑張ろうと思っています。そして、一緒にやってきた弟に、新しく１軒店を任せたいと考えています。2008年中には、実現出来るように、検討しているところです。２店舗目からキャッシュフローが変わってきますから、ゆくゆくはもっと大きい店舗もやってみたいと思っています。まずは飲食で足場をしっかり築いてから、経営としては、違うジャンルへの夢も持っていますよ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol3_photo02.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol3_photo02.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><strong>―楽しみですね。高野さんは、飲食以外のジャンルも視野に入れていらっしゃるようですが、現在、飲食をやられていて「良かった」と思っていらっしゃいますか？</strong></p>

<p>　良かったですね。接客が好きですから、というか、人が好きですから。（笑）<br />
楽しいですよ。</p>

<p><strong>―高野さんが経験してきた中で、飲食店の開業、独立を考えている人へのアドバイスがあれば、ぜひお願い致します。</strong></p>

<p>　僕流のやり方ですけど、奇を衒ったことをやるよりも、地道にお客さんがついてくることをやること。それは何かいうと、「基本に忠実であること」だと思います。飲食の業界用語でQSCというのがありますが、クオリティ（Q）、サービス（S）、クリンリネス（C）は、お客さんをもてなすハード面も含め、飲食業を営業する上での最低条件ですが、これを基本として、徹底して絶対にやることです。知恵を絞って雑誌に載せてもらうことをあれこれ考え、集客、販促に頭を悩ませるより、目の前のやるべきことをきちんとやっていれば、それは店の表情に自然と表れます。それを徹底してやってきたことが今に繋がっていると自負しています。けして、これで充分とは思ってはいませんが、これが全ての基本となっていますね。</p>

<p><strong>―ありがとうございます。ご自身で実行してきたことだからこそ、とてもリアルなお言葉です。最後に、高野さんが普段意識していること、例えば、座右の銘などがあれば、教えてもらいたいです。</strong></p>

<p>　僕が意識して、実行していることは、<br />
「人に評価されるのを気にするよりも、自分で自分のことを評価するようになれ」ということです。他人を気にして、媚びたりするよりも、自分に胸を張って生きているのか、自分に恥ずかしくなく生きていれば、周りも評価してくれる、ということです。人として基本である挨拶、礼儀はもちろん、謝ることはきちんと謝る。自分に嘘をつかず、正々堂々と出来ることで、判断を迫られた時、ぶれないし、迷いませんから。</p>

<p><big>【高野店主のお店のこだわりのもの】</big></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol3_photo03.jpg" src="http://www.trust-navi.com/image/vol3_photo03.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>　最初に店主にこだわりのものは何ですか？と聞いた時、高野店主は「ハートです」と答えられましたが、残念ながら、ハートは写真に撮ることが難しいです･･･（笑）<br />
「それなら、一切妥協しない魚ですね。素材にはお金かけていますから。」<br />
今日の築地からの仕入れで一番のおすすめは、鹿児島産の鯛です。この鯛は、やはり刺身で食べてもらうのが一番ですね！</p>

<p><big>【インタビューを終えて】</big></p>

<p>　１つ１つはっきりとした落ち着いた口調で語られる高野店主は、まだ30代前半でありながら、言葉の端々に確かな自信と男気が感じられる、頼もしくクレーバーな店主という印象です。時折見せる、はにかんだ表情でおっしゃった「人が好きですから」という言葉に、高野さんの温かいお人柄を感じました。恵比寿にある旨い魚と上等な日本酒が味わえる大人が集う居酒屋の店主は、今後どんな新たな展望を企んでいるのか、非常に楽しみです。</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/interview/2008/post-12.shtml</link>
<guid>http://www.trust-navi.com/feature/interview/2008/post-12.shtml</guid>

<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">飲食人散策</category>


<pubDate>Fri, 04 Apr 2008 15:00:00 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>高野 年之　馨＠麻布　</title>
<description><![CDATA[<p><strong>― この業界に入ったきっかけから教えてもらって良いでしょうか？</strong></p>

<p>　19歳で調理師専門学校を卒業して、すぐ就職せず、海外に行ったりして、少し遊んでいましたね（笑）でも、いつまでも遊んでいるわけにもいかず、たまたま専門学校から乃木坂にあるステーキ屋を紹介してもらい、その時は、特別行きたいという強い気持ちはなく、なんとなく行ってみようか。。。という程度でした（笑）だから、最初の鉄板焼との出会いは、偶然だったんです。</p>

<p><strong>― 当時の鉄板焼料理というのは、どんな位置付けだったでしょうか？</strong></p>

<p>　当時は、バブルが始まる前ですが、高級志向の方と、そうでない方の差がとても激しかったので、鉄板焼はかなり高級料理でしたね。高級牛肉、高級海鮮の素材をコースで味わう今の鉄板コース料理の基本が出始めた頃です。今でこそ高級ホテルには鉄板焼のお店が多いですが、その当時はほとんどありませんでしたね。鉄板焼のお店としては、ステーキハウスのハマさん、神戸みそのさん、瀬里奈さんなどが有名でしたね。</p>

<p><strong>―鉄板焼に興味を持ち始める最初のきっかけは、なんだったと思いますか？</strong></p>

<p>　まもなくある方の紹介で、銀座にあるステーキハウスのハマで働くことになりましたが、この時まだ20歳過ぎでしたが、銀座という場所柄、高級クラブのママさんと話をするチャンスなども多く、今思えば、色々人生のアドバイスをしてもらったと思います。例えば、新聞をよく読むことだったり、会話の仕方、マナーだったり、大人としての素養を身につけてもらった貴重な経験だったと思います。これも鉄板焼というジャンルだったからこそ出来た経験でしょうね。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol2_photo01.jpg" src="http://121.119.184.49/image/vol2_photo01.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p><strong>―それからは、海外のお店でも働いていたと聞きましたが？</strong></p>

<p>　知り合いの紹介でサントリーのレストラン部門（鉄板焼）の立ち上げの仕事に誘われました。最初は赤坂で始まり、その後ボストンやインドネシアなど海外で約７年間、働いていました。</p>

<p><strong>―30代前半で帰国してから、日本では何から始められましたか？</strong></p>

<p>　帰国後も、人の紹介で飲食店の立ち上げの仕事が多かったです。現在の店のオーナーとの出会いは、今から4,5年前、麻布にあるラ・ベジブルのシェフとして招かれたことでした。<br />
　ラ・ベジブルも多くのお客様がいらっしゃいましたが、やむなく閉店することになり、新しい店舗として、私のやりたい現在の鉄板焼のお店のオープンに至りました。シェフとして今は全て任されてこの店の営業を楽しんでいます。</p>

<p><strong>―高野さんは、色々な方の紹介を通じてチャレンジして、着実にステップアップされていますね？</strong></p>

<p>　そうですね、常に勉強、挑戦だと思います。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol2_photo02.jpg" src="http://121.119.184.49/image/vol2_photo02.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p><strong>―因みに、自分でお店を持ちたいと考えたことはありませんか？</strong></p>

<p>　もちろんあります。それは経験を重ねてくると誰でも思うことだと思いますよ。<br />
ただ自分の店を持つには、色々なタイミングがありますから、自分はそのタイミングが合わなかったのだと思います。自分は、今のお店「馨」で単に料理のシェフだけではなく、鉄板焼店の運営を任されているので、自分には今の働くスタイルとして合っていると思っています。自分に合うスタイルであれば良いと思っていますから（笑）</p>

<p><strong>―高野さんが、長く鉄板焼に関わってきて、鉄板焼の魅力は何でしょうか？</strong></p>

<p>　鉄板焼は、お客様と対面し、反応がダイレクトに伝わります。お客様との会話により教わることも多いです。と同時に、常に自分も見られています。自分はいつもお客様に料理を提供する時は、自分のステージに立つというつもりでいます。ですから常に緊張感を持ち、それを楽しんでいます。自分のショーを見てもらうという感覚ですね。</p>

<p>　技術はあたりまえですが、会話が出来ないと鉄板焼のシェフは出来ません。お客様から、「技術はどうにかなると思うが、会話が出来ない人はダメ」と言われることもあります。自分が調理場で黙々と仕事をする性分ではないというのもありますが（笑）、鉄板焼は普通の料理のジャンルとは違う、エンターテイメントだと思っているので、長く続けてきたし、まだまだ魅力は尽きません。今後は、この鉄板焼の魅力を、若い人達に教えていきたいと思っています。</p>

<p><strong>―これから飲食業界に進んでみたいと思っている方に向けてアドバイスをお願いします。</strong></p>

<p>　私が常に考えていることは、お客様のわがままをどこまで聞いてあげることが出来るか、お客様を気持ちよくさせることが出来るかを考えて、接しています。お客様に喜んでもらえるのが、自分に更に大きく喜びとして返ってきます。また気をつけていることは、お客様に対して「出来ない」と言ってはいけないと思っています。</p>

<p>　最近、鉄板焼では創作という表現がよく使われますが、僕は創作という表現が嫌いですね。何でもそうですが基本が出来ていないから創作という表現で誤魔化していると感じてしまいます。まずは基本をしっかり身につけることが大事です。基本の軸があれば、自分に自信が持て、更に色々なことに柔軟に取り組めるようになると思いますね。</p>

<p><big>【高野料理長のこだわりのモノ】</big></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="vol2_photo03.jpg" src="http://121.119.184.49/image/vol2_photo03.jpg" width="480" height="250" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>それは、常時6種類ある"手作りの塩"です。<br />
　わざび、のり、にんにく、海老、帆立、焼ネギ　の6種類。高野さんのオリジナルのブレンドで季節、料理に合わせて手作りしているそうです。素材、調理法に合わせた塩での食べ方が、お客様に好評とのこと。高野さんの定番の塩としてセレクトされたのは、沖縄の粟国の塩。「色々な塩を試してみましたが、この粟国の塩が一番素材の味が引き立ちます」</p>

<p><big>【インタビューを終えて】</big><br />
　落ち着いた物腰で静かに語る雰囲気は、鉄板焼に対する確かな技術と揺るがない自信が感じられます。鉄板焼はエンターテイメント！と表現したのは、長い鉄板焼でのご経験の中で培った、鉄板焼の醍醐味なのだろうと思いました。今後、高野シェフのような鉄板焼のエンターテナーが増えるのかと思うと楽しみです。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/interview/2008/post.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">飲食人散策</category>


<pubDate>Tue, 11 Mar 2008 20:59:11 +0900</pubDate>
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<title>仲見世商店街</title>
<description><![CDATA[<p>町田の街中にある商店街に行列がありました。<br />
町田の土日の、いつもの光景と言っていいほど、いつも行列しています。<br />
実は、左の店舗は比較的新しく、前はたこ焼きや、その前はお好み焼きやと<br />
入れ替わりが多い印象があり、それに対して右の店舗マルヤは老舗で、<br />
昔からあったことを覚えています。<br />
マルヤの大判焼きは、町田をブラブラする時の定番のおやつです。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.trust-navi.com/feature/linemania/2008/post-14.shtml</link>
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<category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">行列マニア</category>


<pubDate>Sat, 01 Mar 2008 17:11:10 +0900</pubDate>
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