和田真二 中華料理五指山@松陰神社前

―飲食業界に入られたきっかけを教えていただけますか?
料理の世界に入ろう、という強い動機があったわけじゃないんですが、高校を卒業して大阪にある調理師専門学校に入ったのがきっかけといえばきっかけです。出身は東京ですし、都内にも調理師専門学校がありますので、そちらに通うという選択もあったのですが、大阪の調理師専門学校に入学し、その学校の寮に入りました。
―中華料理を選ばれた理由は?
僕が調理師専門学校に通っていた20年近く前は、イタリアンが日本に流行り始めたころだったので、初めはイタリアンがいいかなと思っていたんです。でも、中華料理には馴染みもあったし、興味を持ったので、中華料理店に就職しようと思いました。
―どちらの店に就職されたんですか?
中華といえば横浜の中華街かな、と思ったので中華街にある中華料理店に入社しました。その当時は、求人は学校にたくさんきていたんですね。いくつか会社説明会や面接に行ってから、本格的な中華料理を学びたいと思って決めました。
―そこでの修業時代はどうでしたか?
そうですね。皆さんがよくおっしゃっているように、この業界は一般的に拘束時間も長いし、体力的にもきついですよね。ですから1年くらい過ぎたころ、この業界はもうちょっと無理かな、と思ってやめました。

―この業界から離れた、ということですか?
いえ。やめてすぐ、横浜の大きな食品会社の人が「うちで働けば?」と声をかけてくれましたので、そちらにいきました。そこは食品工場ももっている大規模な食品会社で、横浜で中華料理のレストランをいくつも展開していたんです。比較的身体も楽でしたので、2年くらいはお世話になったんですけど、だんだん物足りなくなってきたんですね。それで、都内にある四川料理の店を紹介してもらってそちらに移りました。そこに7年くらい、ほかにもいくつか東京の中華料理店で修業してから、独立しました。
―独立したきっかけは?
条件に合う物件がみつかり、2000年に、世田谷に店を開きました。でもそこは、いろいろあって2006年に閉めました。それからずっと物件を探していたんですけど、なかなか貸してもらえませんでしたね。ここに決めるまで10ヶ月くらいは、かかりました。2年前はまだ今ほど不況じゃなかったので、オーナーさんは、重飲食店にはなかなか貸してくれませんでしたね。今のような状況ならもう少し楽だったかもしれませんけど。
―どのあたりをどのように探されたんですか?
世田谷、目黒、川崎あたりですね。小田急線沿線、東横線沿線、目蒲線沿線、田園都市線沿線などの駅前にある不動産屋さんを自分の足でマメに回りました。1つの駅を降りると不動産屋さんが5~10軒くらいはありますから一通り全部のぞいてみました。だいたい200軒ぐらいみましたね。その中で気になった物件があれば実際に見にいきました。それが50件ぐらいでしたね。
―かなり労力を費やしてますよね。
そのときは店をやってなかったので、探すのが仕事みたいなものでしたから、けっこう楽しんでましたね。ほとんど降りたことがない駅で降りて歩きまわるわけですからね。ただ通り過ぎるのと、実際に降りてみるのでは印象も違いますし、こんなところにこんな店がなんて発見もありましたし。歩いてみると住んでいる人のこともなんとなくみえてきますしね。リサーチというわけではないですが、大勢歩いていても学生さんのような自分の店にほとんど縁がないような人ばかりでは困るわけですしね。いろいろ勉強になりましたよ。気になった物件は、曜日をかえて何回か見に行きました。

―ここはどうだったんですか?
ここは問い合わせたときには、もう予約が入っていてほとんど決まってるといわれてしまったんですよ。駅から近いですし、商店街の中なので結構人気があったみたいでした。でもその予約がキャンセルになったから、とわざわざ電話をかけて知らせてきてくれたんです。
―ご縁があったんですね。ここをご覧になったときの印象はどうだったんですか?
実は、何にもなかったんですよ。前はスナックだったと聞いていますが全部壊していて跡形もありませんでした。床もはがしてありましたし、厨房もトイレもなかったんです。これではずいぶんお金がかかるだろうな、と思いました。居抜きで残っているのと何もないのでは、2~300万円は確実に違いますからね。ですから、余計なお金を使っちゃいました。実は自分の中ではもう少し待った方がいいかなという気持ちもあったんですよ。僕は世の中の動きなどにも多少関心があり、そのときの状況はわかっていたんですね。アメリカでサブプライム問題なんかもおきていたので、景気はまた悪くなるなという予感はしていたんですよ。でも、何もしないでただ待っている、というのもいやじゃないですか。だから迷ったんですけどね。小さな店なので不景気になってもなんとかなるかな、と思って2007年11月にこの店を始めました。
―資金はどうされたんですか?
若いときから貯金をしていたのでそれを自己資金にしました。ただ、予定より多くかかってしまったので用意していた自己資金では足りなくて、その分は公庫から借りました。「借金がある」というのは正直プレッシャーですね。個人経営のこういう店っていつ何があるかわからないじゃないですか。いつも崖っぷちを歩いているような感覚ですよね。よくも悪くもすべて僕自身にかかってくるわけです。その分やりがいもあるわけですけど、決して楽観的には考えられないですね。
―中華料理店というよりカフェのような内装ですけどご自分で考えられたんですか?
そうですね。最初のうちは赤字とわかっていましたから、なるべく蓄えを運転資金に回したかったので、内装などにはあまりお金を使えなかったんですよ。だからなるべくシンプルにしました。
―スタッフの方は?
スタッフはいません。僕がひとりでやってます。
―この店をオープンしたときの宣伝はどのようになさったんですか?
宣伝は何もしていません。看板もあまり出してなかったので最初はお客さまは1組とか2組、ランチで5組とかでした。だから最初の2~3ヶ月は赤字でしたね。ここは商店街なので通りがかりにのぞいてくれる人は結構いましたけど、なかなか中までは入ってくれないんです。住民の心理ってそうじゃないですか。新しくできた店に関心はあるけど、よくわからないから何気なく様子をみている、というようなかんじですよね。だから誰かが行ってどうだった、こうだったという話が聞こえてくると、「じゃ、今度行ってみよう」と思うんですよね。ヘタにチラシをまいても意味ないんですよ。

―お客さまが来るまで待つ?
そうですね。ただ、食材が困るんですよね。まだ11月だから多少は日持ちしましたけど、真夏だったりしたらすぐダメになりますから。だから最初はメニューも少なかったんです。今の半分くらいでした。最初は暇なのがわかっていましたからなるべくムダにならないように工夫もしました。
―忙しくなりだしたのはいつ頃からだったんですか?
お客さまがコンスタントにいらしてくださるようになったのは、春くらいじゃないですか。暖かくなると人も外に出やすくなりますしね。前の店のお得意さまがいらしてくださったり、リピーターも何人かいらしたり、ランチのお客さまが夜もきてくださったり。特に言葉を交わすわけではないんですが、この店の味を好む人が確実にいらっしゃるのがわかりました。そういうお客さまが転勤とかでいなくなる可能性もありますから、ずっときてくださるとはかぎりませんけどね。でも、今のところはありがたいことにごひいきにしていただいてます。
―ジワジワとお客さまが来てくださるお店になったんですね。
そうですね。ドアにメニューくらいは貼るようにしましたけど、口コミの影響が大きいですね。
―3年後、5年後、10年後の抱負というか夢を教えていただけますか?
それは世の中の状況をみながら考えたいですね。もう少し箱を大きくした方がいいような世の中であればそうしますし、今のような状態が続くようでしたらこじんまりやっていた方がいいですし、それは臨機応変に対応したいと思います。妄想はしますよ。でも、どっちに転ぶか分からない妄想を口にすることはできませんから。いつどこでどういう体制になるかわからないじゃないですか。ただ、何か話があったときにすぐ動けるように借金は早くクリアにしたいですし、貯金もしたいですけどね。何もなければこのままでもいいですし。そのときの僕の健康状態にもよりますよね。僕は独立志向もないままオーナーになりましたけど、まだ発展途上なのでいつどうなるかわからないんですよ。ですから、そのときのベストを選びたいですね。
―それでは、座右の銘を教えていただけますか?
うーん。流れに逆らわないということですね。無理するとうまくいかないと思うんですよ。料理は世の中にあわせる必要はないと思うし、自分のポリシーを貫いて時代に逆らってもいいと思いますが、人生の流れは無理をしない方がいいんじゃないでしょうか。僕も無理はしてません。僕の味を「おいしい」と思ってくださる人に伝わればいいんです。
―これからこの業界を目指す若い人たちへ何かアドバイスをお願いします。
今の若い人たちはよく勉強してますよね。いろいろなことを知っています。僕が若いときはあまり興味がなかったせいか、ほとんど知りませんでした。でも、あまり頭でっかちにならない方がいいじゃないかと思います。基本的なことが抜けていたりするんですね。知識は後からでも入りますから、取りあえずがむしゃらに働いて身体で覚えてほしいですね。
【和田シェフのこだわりのもの】


特にこだわりはないんですよね。そうですね。中国にはよく行ってますね。あちらに行くと豚の飾り物をたくさん売っているんですよ。「かわいいな」と思うと買ってきます。特に珍しい金色の5段の豚や、バスタブに入っている豚の親子など、ついつい買ってしまった豚がいろいろいますね。
【インタビューを終えて】
子どもの頃は、食べ物の好き嫌いが多かったという和田シェフ。"流れに従ったまで"といいながらも、わざわざ大阪の調理師専門学校を選んで入学したり、横浜中華街で修業したり、ご自分を厳しい状況に追い込む様子からは、静かな闘志がうかがえます。時代にもお客様にも媚びることなく自分のポリシーをつらぬいているスタイルは小気味よく、コアなファンを増やしているのでしょう。クセになる味と評判のマーボ豆腐もそのひとつ。ご自身はまだ発展途上人といい、あくまでも謙虚な姿勢の和田シェフでした。







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